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人の言ったことを消化しようとするときに、鈍感で大きなことを言ったり意識に載せる時がある。人が好意的だと、余計そうなる。Yらさんと会ったときに哲学ってなんだろという話になって、哲学がなかったらなんにもできない、と植物の絵を描き続けているYらさんが言っていた。なのにYらさんが好意的なものだから、自分は自我の暴走を許した。大きなこと、というのはみんな言いたいことというのに近くて、言いたいけど、みんな我慢している、行動してないと言いたくても言えないのだというしくみがある。行動してないのに言うという。それに言葉もだめにしていってるし、場の雰囲気も寒々しくなるという副作用つき。私は大きなことを考えてしまった後に、身動きが取れなくなる。今まで読めていた本が、自分をおびやかすもののようになって、読むことができなくなり、ページすぐ閉じる。FBとかで起こることがあった。自我の暴走、私の病気だと思う。そこでは出発できない。出発できるのは、多分もっと違うことで、ややこしいけど、Yらさんのいう哲学とはそういう出発できる大きくない、小さいなにかを指している。
原発いらないというのは、大きなことにはならない。文学も、大きなことにはならない。で、年末にちょっと面白いかな、と思って読んだ本は、こちら「闘争領域の拡大」ウエルベックの処女作。友だちが訳したので見たかった。アマゾンでレビュー見て、資本主義とか、もろもろの正体は何、と思って読んだらハードだった。金と性の社会構造化についての文についていくのに、一番忘れたいつらかったこととか思いださないと消化できなかった。でも、市民運動とかしてる人も、してない人も、読んだらいい本だと思うよ。
- 作者: ミシェルウエルベック,Michel Houellebecq,中村佳子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2004/11
- メディア: 単行本
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余談。絵は、「スカイツリーできてもなんにもいいことない」と話す野宿者の人の記事を読む前、コンペに出すために描いたもの。下手くそだし、イメージ暗いので通らなかったんだろう。コンペを募集してたけど、観光客だけ集めて、なんか地域にいいことみたいに思っているのがすごく変だし、もうなんでこんなものに応募したのか。