労働のこと少し

先々週の『降りる思想』を読んでいて浮かんできたのは、労働、のことだった。お金を生み出したり、価値を生み出したりするもの。個人がするもの。呼んだ直後は頭かたく、かんかんになってうまく伝えられなかった。会話することにも、対話になることによって、発見があるなどの価値を生むことで労働の一種になる。社会的な労働が、社会を変えていく、と著者は言いたかったように思う。社会的なものとは前進しようとする大きなものに抗う何かでもある。本性としてどちらにつくかだと思う。(この本は読みやすいけど、知識は増えるけどその、知識の遊戯みたく、結局「降りる場所を創造せねば」、てことは降りる場所はまだ創造されてないってことじゃんか、という煮詰まり方をする本でもある。)
言葉を発することは、私にとっては一番労働になりにくい。ガツンガツンして、何も生まない。以前ライターの職種に応募したけど、落ちて、そうだ労働にならないんだ、じゃないけど。(落ちたのはおそらく職歴のためと年齢のため。)
今日はひと段落ついたので、久々にスケッチした。SNSは冬眠状態。木炭とかで今までもやってるけど顔彩でいきなりやってみた。難しい。柿の木。色んな具合に紅葉してる葉の、共通するところと違うところが描けない。朱赤と、臙脂。油画のカドミウムレッドとクリムゾンみたい。色んなもの、見てるうちにハイになって、しまいに知覚障害が起きて顔がいろんなものに見えるような状態に。薬飲んで収まる。絵も私にとっては労働未満、ずっと言ってるけど。描けた、ていうときには描けるんだけどアップダウンが激しい。描けない〜と言ってるうちに日が暮れた。