書いてしまったら、実現できていないことが、実現できなかったことになりはしないかと、恐れていたけれど、
去年の8月23日に、師匠として仰いでいる知人が会いに来てくれたことを書きます。
画塾の遠藤先生が、父の郷里の富山に来られて、お寺の跡継ぎのことで、私はもみくちゃになりながらも、アテンドしたのだけれど、自分にとっての普通ができていないのに、仏門に入るとか考えられないというと、仏弟子として、君は煙草をぎりぎりまで我慢することだ、と言われて、私は、そうした。異国の地で、伯母に言われた寺に訪ねていくという翌日も、そうだった。私にもこんなことができるんだと、嬉しくて、行く途中の城端線で自分の写真を撮ったりした。
師匠としている知人は、その写真をいいと思ってくれたのか、それは誰にもわからないけれど、富山から帰省した私に、大阪に来る予定があるので、タイミング合えばコーヒーでも飲みましょうと言ってくれた。
バスの到着時刻になっても、バスから降りてこないのを見て、なかばパニックになりながらも、バス停と行く予定だったカフェとを行ったり来たりしているうちに、別のバス停についていると電話があった。
カフェで、ほらここを行く人のうち、何人が絵本描いたりできると思う、と聞かれて、やっとのことで外見からは分からないといった。
本当に、私を信頼してくれたのか、なんなのか、不明ではあるけれど、置き去りにしてさきに行ってしまうようなことは、一切されずに、お寺の跡継ぎのことも、経営者になればいい、と言って、それにプロデューサーとクリエーターと両方しなくてはいけない、と言ったら、それを世間では経営者という、と言われた。
最近、知人の講演を主催しなければいけなかったので、お寺のことは、後回しにしようとしていた。
再開、ということが可能なのかどうなのかは、わからないけれど、本を読むことが、再開であるなんて、消えては生まれる人の縁を考えたら、甘いことだとしか言いようがないのだけれど、再開できたらいいと思います。
悔いが残るとすれば、朝食のあと、用事をして、昼食が一緒にできたのに、奢れなかったことだ。
なんの業なのか、考えてしばらく過ごしたが、解決に向かう節はない。
彼の、さちあさん騙されないよね、と言った目の透明さが忘れられない。一度、木版画にした、あの目と同じ、と、私は思えたのだった。
それだけで、パトロンになってしまうには、勿体なすぎる体験だった。
思った通りの人だった、と言ってくれた。
握手をして別れた。