○○な日

昨日がどういう一日なのかについて、何とか名前をつけようとしたが、できなかった。
通い始めたデッサン教室を、イラストレーションの仕事が来て、始めたばかりなのにお休みして、翌週、しかも電話で、先生のかつて会員だった画壇に出品したいです、とか言ってしまう。電話ではだめなので、とりあえずお話しは昨日の教室で、ということになっていた。
もともと何かタイトルをとる、ということは、絵を描いたら、好きだから自分の店に、本気で絵を描いたら、おいてやる、といって私を励ましてくれた友人の発想からきたもので、で、自分では身の程知らずであることは、感じてたけど、とりあえず本気で描いたものがあったし、花は枯れてしまうものだし、残したい、と思ったので誰にも相談せず一人で決めたことだった。塾生になることについても、絵を見せたことについても、力になってくれた友人だった。
友人とは、とても緊張関係にあって、私のことを「想念を一人で燃やしている気の触れた女の人」だとおもっているのではないか、と、苦しかったわけだが、そう思われているから、なんだ。私のことをどう思おうと、それは私が決めることではなくて、彼の自由だ、と思ったら楽になって、ほんと死にたくなったけど、死なないで、恩師の個展に行った。
個展はよかった。本当に、いなくなってしまってさみしい、と思える、遺作展だった。恩師の奥さんと、さみしいということについて話したりした。そしたら、メッセージでニグレクトされた、電話も出てくれない、だから私はもう死ぬしかないと思っていた、友人から電話が来た。気の触れた女の人、だと思っているのかと不安になって、メッセージで努力していることを伝えたくて、一方的なメッセージになったことを踏まえて、不安になったと言ったら、気がふれている女の人については当たらずとも遠からず、というから、やっぱりか、と返した。ていうかそれは、ああ、あのひと、と言って通じるのは、それだけ身近な人だったことだと、思えばいいというので、言葉って受け取りようなので、配信中にあああの人、といわれたこと以外には、あとは後付のニュアンスなんで、どうとるかに事実なんてものは、ないので、じゃあそう思うことにする。と言った。
死ななくて、よかった。
気がふれているから何、面白いじゃん、それにあなたは、僕の身の回りにいる、どっかおかしな人たちからみたら、美しいよ、というので、また大きなこと言ってるなこの人、と思いながら、とりあえずニグレクトじゃない、とわかって、ほっとした。
彼は友人を亡くしたばかりで、ものすごく落ち込んでいて、様子を動画配信でみて、もう、これはしんどそう、明るいけど、しんどそうだった。でも、電話では、動画は楽しそうだったからほっとしたみたいなことを伝えて、彼は楽しいと言ったけど、でも、外見からは本当のところはわからない。わからないよね、と言えなかった私には後悔が残る。
で、いっぱいいっぱいになって、デッサン教室に行った。
花が枯れると思って焦った、だから出品をあせって電話してしまった話とか、本気の絵を描いたらいいと言ってくれた友人が、もうわたしのことを知らんと言っている、で、描いた絵はもう本気じゃなくなりそうになっている、と言う話を先生にしたかった。プライベート過ぎて言えない。とりあえずダメになっている今の絵を見せた。
でも、デッサン中に絵のことで頭がいっぱいになっていたので、黙ってしまった。電話で光風会に応募するなんていってすみません、という一言も、飲み込んでしまった。そうしたら、先生はシュリハンダカの話をしてくれた。名前も言えないくらい物覚えの悪い、といわれた仏弟子、聖者になった人だ。私は自分がこうしたのが、悪いです、と言う一言がいえないのだから、私の名前を言えないのと同様でそのくらい、おろかものであった。私は入門を諦めようとしたシュリハンダカだ。だけど先生はシュリハンダカに言うように、情熱を持ってただデッサンすることですよ、と君に伝えます、と言ってくださったのだった。
そうして、なんだかやる気ないと言うかトイレでタバコ吸ったりしていた私も、ようやくエンジンかかったのだった。
調子ではなく線で形をとることに関してと、このまま行ったら綺麗な画面をつくることになって、東京芸大受験デッサンになってしまう、もっと実在を追及することだ、というアドバイスがあった。
お祝いに、ケーキを買って帰った。
タバコを吸うことに関しては、だめですよ、と女の先生に言われた。本当に、ダメだと思った。具合悪くなっちゃうひとが、いるんだ、もう路上ですうことも辞めよう、と思った。
そうして、家に帰ってきたらイラストレーションの追加の仕事が来ていた。前に出したものが、ダメダメだったかと思ったけど、追加で仕事来るくらいには描けていたんだ、とおもって、励まされた。
そういう、幸運な一日でした。