ユトク伝読み終わる

いろんな医学書の名前が出てくる。内容にまでふれたものは少ないので覚えられない。終盤になってユトクが天上へ行ったり、(天人は楽をしてばっかりで死のことを考えないので法を実践しない、だから諭してくれというのだった)、浄土へ行ったりして教えを広めるところがある。(浄土には生きたまま行ってまた帰ってきた。)浄土に空中を飛んでいくのを見た人々がもう彼は死んだのだと嘆き悲しんだり祈ったりするのが好きだ。晩年になったユトクは、弟子たち以外に神とか天人にも足を頭にのせて敬う、までになってすごいぞ。
以前は、4ヴェーダのうち供儀について書いたアタルヴァ・ヴェーダは気持ちの上でお蔵入りしていたのが、ユトクがサーダナとか修行とかを儀軌にのっとって執り行う具体的な描写があって、インド文化圏では常識のレベルだったのかもしれないと思った。
菩薩としてのユトクの慈悲をとく説法にぼうっとなってたら、京都で昨日カソリックの神父さんのお説教をきいてきた母と、今日妙心寺禅宗の説教をきいてきた父がおんなじようにぼうっとなってて、なんかかみ合わない会話をしていておかしかった。