9月になる

7月に、よし『ある絵の伝記』に書かれた「統一された」人間になろう!と思って、考えたりぐるぐるしてますが、秋になったせいか、行動しても思考しても自分がバラバラになっていくようでとても苦しい。あ、あんまり行動はしてないですね。ネットだと、考えて結論を出したりする時間があり、考えて良い方向を探すわけだけど、直感とか、洞察力とか、感覚するものには時間という点で勝てない、ということとかある。録画されたものとか見るとそう思う。手の出しようがないもの。私には不可能なもの。「統一」integratedは、この3週間で近づきたかったけど遠くなりました。(統一って他者に対する統一ではなく、有機的に自分の中身がつながってるあるいは分裂していないという意味です。)このところ前進することが、当たり前になってしまって、抽象だけが残っているのかも。
画像は防災の日のカットの、関東大震災の歌を詠んだ坪内逍遥を描いたものですが、ライターの方が言われるには昭和天皇が思われるとのことで、却下したもの。カットも、絵としていいからという理由で採用になったり、そうじゃないものもある。未知だ。ここ2日連続で、デッサンしている夢を見て現実らしすぎて眠った気がしない。