8月

反戦の絵を、描かなければならない8月がそこまで来た。具体的には原爆に遭った方についてのコラムの絵、特攻隊のひとについてのコラムの絵、市井の戦争を歌に詠んだひとについてのコラムの絵。もしも構図と対象が決まっても、私の絵は心に訴えかける絵ではないので、というかいい言い方をして挿絵っぽい、悪い言い方をして主体性のない、絵なのでどうしたらいいのか途方にくれる。控えているものを描くくせのようなものがある。前に、すごくすごく時間をかけて七夕の絵をかいたけれど、それと同じようにやってみるのがいいのかもしれない。時間をかけたものしか、まともな絵にならないのかもしれない。
私にとって反戦は、小学校の知識によって成り立っている。死ぬことが恐ろしかったときに、平和教育のかけらとして心に残ったのが、反戦。大人になって、命のことをすごく軽く思えたり、それとは別に、死んでしまった、ということの絶対帰ってこない、ということに愕然とすることがあったけど、反戦と、命、というものは二つの事柄の重なりなのだ。戦争はすごく社会的なもので、命は社会に対してアンチを問いかける。戦争でなくとも、社会的なものには、反する。命のことに、社会なんかを持ち込まないでほしい、という生理的な気持ちがこちらにはある。社会のことを描くのか、命のことを描くのかで迷う。
結局どちらにも属さないものを描いてしまう気がする。描く前から途方に暮れている。