なんだかようやく夢から覚めた気分。週刊誌のカット描き3カ月めを迎えました。ほんとに絵が好きなのかとか、足元の部分でゆらゆらしていたが、ある時点で竹ペンより筆の方が誌面と相性がいい、との指摘をうけ、そんならやってみようと思ったときに、すっと楽に、というか落ち込みはしたんだけど、人のためじゃなく自分の好きな絵を描けばいいみたいになって、落ち着いた。一週間のうち2日間で4枚描くとか、いままでの自分からみたらものすごくハードなんだけど、やっている。
労働なのか?
経済に組み込まれていることは、それが労働だってことなんだけど、労働したら、原発とまるのか、いったいどうしてそんな発想になったのか、わからん。SNSで反原発メッセージながすのより、いいのだろうか。てか主体性が減ってる。いっそのこと週刊誌上でやってしまえと思い、ぐだぐだに壊れた福一の絵も描いた。しかしながら震災特集号で、原発の絵ではなく石川啄木の、ほっこりするような絵を描いた。啄木がどういう気持ちで被災者を考えるだろうとか、どういうメッセージを被災された人々に伝えたいだろうという点で指摘をうけ、描いた。私には荷が勝ちすぎる仕事だった。マスコミの中で自分の思いを書くことに、思いをはせるゆとりはない。自分が大切に思うこと、を、確かめることがないと、なにをやっても空回りになる。わたしにとっては、現在時点で、平和のためには他者に関心を持ち続けることだ(ダライラマの言)、というのに賛成です。
画像は描いたけど誌面に載せない、却下したものです。西行法師です。