ハロウィンの日。メキシコの死者の日のガイコツ祭りの始まりの日。私にとっては一年で最も苦手な11月の訪れ。父にバッサリ切られる。切られる、ってことは一般的に言うとそんなに間違っているものでも、迷惑でもないのだが、なんだか迷惑な切られ方だった。そもそも父は原発事故のあとどういう動機かしらないが安全厨で、仕方ないので私は危険厨だよ、といって共存を試みた。父は他人のことを考えていても、自分がおびやかされる、という感じをもつといやみたいだ。日本は大丈夫だと思いたいらしい。自分が安全であると思いたいがために。こういう人たちがいることは国に利するだろうな。ややこしいのは○大話法(東大じゃないよ)を使うことで、父は自己表現とか意見を言おうとするときに「必ずしもそうとは言えない」「AやBやCは本当の○○ではない」(○○には宗教用語、ABCには、そんな人いないよ、というような虚構)といってこちらに自己主張すること。自分を正しく理解してほしいというのは父だけじゃなく万人に共通することだろうが、父はその妨げになる主張は正否に関わらず否定。とっさに思いついた対策として、私の方が、父に脅かされるとか侵略されるという感覚を、遠離することがある。仏教でいえば、心の平安は常に自分自身の養いの中にあって、他人との関わりは副次的なものだということだ。私は仏教徒ではありませんので間違っているかもしれませんが。11月はにわか仏教徒で始まる。あ、でもこれ書いた時点で挫折かあ。