大江慎也「気違いピエロ」

自分は環境によって規定されているのか、頭脳でそれを超えることが可能なのか、という問いが冒頭部にある。幼いころからの記憶の事実をたどっていくのは、現在「自由に」なった頭脳である。「が」という逆説の接続詞が本来の意味とは違ってつづられる文章は透明で心地よい。自由とはこんなさわやかな感じのするものだと思う。なんだか希望が湧いてきた。