富本憲吉展

京都国立近代美術館で昨日までやっていました。最終日の昨日。電車の吊り広告で見たときは、金にものをいわせる人の家にありそうな陶器、と思ったのだが、柄(陶芸の文様のこと何ていうのかな)の派手さはそれぞれの作品のたたずまいにぴったり似合っていて、可憐でした。箱物とか、香炉で鉄のふたがついているのとか。「可憐」以外に言葉が見つからない。全く柄のない白磁の陶器もあって、こういうものをつくりたい、と考えたら本当にそのとおりに作ることができているような気がした。(これ陶芸やっている人が聞いたらあたりまえなんだろうか。)ちょっと自分の陶芸観が変わった。