4月のこと

先月主治医に診察してもらいに行った時、ちょっと落ち込んでいて、行きたくない気分だった。連休前、秒きざみで忙しそうなY先生。その少し前に友だちのMさんと京都であったとき、はじめて目の前の人に向かいその人の印象を言ってしまったりして、あたってたのかな、大丈夫かな、といつものごとく心配。最近悩んでることをきき、Y先生にその話したら、(悩みを)聞かれる方もつらい、という。Mさんと話していると、人生のそこここで起こって来る問題は、必ず解決しなくては、という切羽詰まったものがあり、それは、Mさんだけではなくて、私の周りにいる人、周りにいない人みんなそうなんだ、という圧倒的な発見でした。(じゃあ私は少なくとも「解決」することを望んでいるのかどうかさえ怪しいと思われ、判断止まる。人の気持ちを思い測ることという発想もなかった。)三条しばらく歩いて、寺町の骨とう品やとかギャラリーに行って、少しお互いに笑顔がもどった。解決しようということについてY先生の話を聞きたかったのだがそこまで喋る時間ない。そういう、自分の内部で止まってしまっているものを、どうこうしたいというのばかり先行し、難しい診察となりました。ひとことの意味を、あとで、病院に電話して、先生に替わってもらって説明してもらった。さらっとした話をしているあいだは相手も自分もつらくないね、みたいな話。