不幸を積極的に存在させる

仕事となると絵が描けなくなるかもしれないな。マヤのコンペしかり。友人の名刺しかり。好きな(必ずしも完成度高くない)絵がかけたときの嬉しさはどこへ行ってしまったのだろう。(父方の祖母は絵を描いているというと「ものい(憂鬱な)こともあるじゃろ」と絵を見もしないのに言ってくれる。ありゃあ。)だったら何の仕事ならできるんだ、無目的に会社に入ることだけを目標にするのはやめようと思うがゆえ、たとえば社会福祉士とか、僧侶とか、仕事内容が固定しているものを通信制の大学にて資格とってやる、というのはどうだろうとか真剣に考えている。それにどれだけ真剣になれるかと考える。
いや、絵を描く枚数が足りない、絵をみてない、というところが実態か。壁がある。日常のこと決めるだけで精いっぱいで、人生設計なんてできるはずもないのだがな。ああ暗い内容。お祖母ちゃん「ものい」取り消して!(うそ)