ひさしぶりによしもとばななの日記を読み、自分がなにをしようとしているのかはっきりさせないといけないと思った。お華でも、元はと言えばすごくスピリチュアルなものが欲しくて、始めたはずなのに、気がつくと華より先生の顔色をうかがったりしている(笑)。華そのものを、生きたすがたで(無論人工的にだが)活けるときの、一回きりのことをやっているのだという自覚がここ半年くらい薄らいでいたと思う。わからないままほっといてることのなんと多いことか。すかすかだ。単に華を美しく活ける、というものだけではなかったはず。バックボーンにあるものをさぐっていく、というか。奥伝のお免状出たのが不思議。