たましい

昨日は、大学のときの友人夫妻と京都で待ち合わせ。お互いにブログを見合っているので久々じゃないみたい。ブログ上と同様、友人のお話とか翻訳の話とか漫画の話とかイントロダクションは華やかだった。雑貨の店とか、半分彼女の目線になった感じでひとつひとつ丁寧にみて過ごす。こんな時間は久し振り。コサージュとかを売っているショップに、炭を小さな俵のように積んでのし紙でつつんであるものを見る。お店の人によると、禍事を浄化する、ためのものだそう。
烏丸御池でごはん食べる。大通りからちょっと入ったところの魚屋さんの魚うまし。友達は何を聞いても嘘がなく正確に答えてくれるところが以前よりもっとすごくなっていた。いっぱい仕事こなして、落ち着いた人になっていた。なんだか私は、彼女と話して魂だけになってしまったかなと思う。言葉の世界は、こわい、私がかつて絵を描くのがこわくなったときの比ではないかもしれない、そういうことを言っていた知人がいるのだが、彼女と夫君が言葉の世界の人だからか。しかしギャハ、と笑えることもたくさんあった。翌日の今日は身体と魂が分かれたまま元に戻らない気がしてきた。こんなものわたしじゃない、と身体に言いたくなる。コーヒーの豆のと、東京芸大の手のひらに収まるくらいのスケッチブックをもらいました。うれしい。