ここのところ何かおかしいぞと思い始め、人の話を聞いたり、するのが好きな性情の裏にあるものを、思った。
生きてく上で大事なのは共感と参加だろうと思うけれど、観察、と相手の本性をみきわめることが大事だ、と非常に強く思っていた気がする。どこで習ったのか。そう考えている限り、共感と参加は生じないように思う。本性(この言葉変)を洞察することが悪いわけではないけれど、むしろそれをやめて目の前にいる人の特長の認識に専念することのほうが精神的に高い段階にあるのではないかと、そうすれば相手との関係に参加できるし共感も生まれる。観察者より参加者がいい。昔観察者と行動者という対の言葉を知ってたけどあんまり考えてなかった。人間は社会的動物であるとか。でも知っているひとには当たり前のことかもしれないな。
人間に本性などない、あるのは空でありあるとしたら仏性だ、と言う人がいた。どうつながるのが良く分からないけれど。
実存主義とか少し以前の考え方みたいになるのかもしれないが、私たちの世代でも「傍観者は悪である」といったようなことはステロタイプとしてでもある。これをどうするかなんだけど・・。