ドキュメンタリーは苦手です
知覚じゃなく感覚には自由があるような気がしてきた。感覚の、ひとによって違うこと、あるいは同じ人でも時間ごとに刻々と変化していくこと、絵をみてどう思うかが違うとか。これに比べたら意志の自由なんて全然自由じゃない。
意志は障害物によって曲げられて、気分に負けて萎えて、自分の自由にはならない。それに意志は似たり寄ったりだし。だけど感覚、感性といっていいかもしれないけど、これは妨げるものがなにもない。(内側だけで起こっていることだから)。そして何をどう感じるかのパターンは無限にある。無限の中から自由に選べる。
これはドラッグで変わるとかそういうことじゃなくて、感じるということ全般にいえるのではないだろうか。そして感覚の違いを人に伝えあうことができたら、(常に言葉に置き換えて交換可能にして、)無数のコミュニケーションが成り立つ。
20歳のころはそういうことについて自覚的で、その上同じく自覚的な人とコミュニケーションがとれる環境にいた。今はなぜかそれが希薄なので、不自由な気がする。ここまで読んでくださった方ありがとう。
きっかけはこれ。
- 作者: サルトル,伊吹武彦,窪田啓作,白井浩司,中村真一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
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- メディア: 文庫
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