ナイシュカルミヤ

大学のとき授業にどうしても遅刻してしまうようになり、担当教官の勧めがあってカウンセリングに行くことになった。半年間くらい。もう驚いた、驚いた。
 私「自分の状況を客観的に話すのですか」
 カウンセラー「いいえ、主観的に話してください」
主観的に話せってどういうことだよ?最初の会話がこんなにも「客観的」なのに。モード切替しなきゃあならんのか。骨を折って?友達に話すのとは違って相手は基本的に自分の意見をいわないのがカウンセラーなんだろうし、空気みたいなもんだし、できねえ。
 カウンセラー「お母さんはどんな人ですか」
 私「きれい好きです」
よく掃除してる母の姿は思いうかんでいたが、ここでつっこんで欲しかった。母から、「きたないもの」について学ばなかった私の境遇に。えええー。あってんのかな。フロイト読んだらわかるはず!とか怒って。無理。
嘘ぺらぺら喋るのは得意。なのでそうならないように注意したら暗号喋ってるみたいになった。後に川上弘美芥川賞とって出たときは、あんまりにもあざやかに愉快な本人曰く「うそばなし」なのでほっとしたし心底嬉しかった。今カウンセラーとかセラピストとかいった人々はどうなっているんだろう。アメリカみたいに普及すんのかと思ってたけどそうでもないみたい。あのときのカウンセリングの先生、当時は反感もってたけど、今となってはちょっぴり申し訳ないような気がする。先生ごめんなさい。画像は私の進路決定時ひっかかった職業学者の父です。